東日本大震災から8年、そして斎藤佑樹もプロ入り8年経過。斎藤佑樹がプロで不振だった理由は・・・

もう既に経過したが、あの悪夢の東日本大震災から8年が過ぎた。まだ震災復興も道半ば。現地の方々が今後幸せになることを願いたい。

さて8年というと、実はプロ野球でも高校時代から人気抜群だった斎藤佑樹が日本ハム入団してプロ8年目が過ぎた。だが斎藤はここまでの間、プロ入り前に期待されたほどの成績を残せていない。むしろ8年間不振続きという批判もある。

だが斎藤佑樹は高校時代には早稲田実業高校のエースとして、あの田中将大擁する駒大苫小牧高校との死闘の末の勝利など、かつての桑田真澄や松坂大輔に負けないほど脚光を浴びていた。そしてハンカチで汗をぬぐう姿とイケメンぶりから「ハンカチ王子」と称されたほどだ。

その後早稲田大学に進学。大学時代は投球フォームの試行錯誤、それが原因と噂された負傷と苦労したものの、それでも大学通算31勝15敗、防御率1.77、323奪三振と申し分ない成績を残した。もちろん六大学野球リーグ優勝経験もある。

そうなれば当然1年目から期待は大きい。個人的にも1年目は2桁勝利は可能とみていた。それは投球術の巧さもあるが、日本球界では特定のスターを持ち上げる傾向があるからだ。オールスターゲームはお祭り試合ではあるが、長年の人気スター清原和博と対戦する投手は「清原に打たせた方が盛り上がるし、自分もおこぼれに与れる」と語ることが多かった。そういう例からすれば、球界全体が斎藤佑樹を後押しして、まず1年目だけでも2桁勝利するようアシストしてもおかしくはないと思われた。もちろんその後押しがなければ1年目は8勝がいいところと考えた。

だが斎藤にとっての1年目、2011年は開幕前の3月11日に東日本大震災が発生。プロ野球開幕戦の日程が後にシフトされ、電力不足の影響からか、東日本の一部の球場では平日デーゲームを余儀なくされたことがあった。さすがにそのような状況下では、プロ野球そのものを興行的にパロディ化するなど不謹慎とみられ、斎藤の2桁勝利のための後押しの動きは見られなかった。結局斉藤の1年目は6勝6敗、防御率2.69だが、新人としてはまずますの成績だった。

だがその後の斎藤は伸び悩み、ケガにも泣かされた。一軍どころか二軍でも胸を張れるほどの成績を残せず、シーズンオフの度に「なぜクビにならないのだ?」「客寄せパンダか」などと揶揄される始末。また成績面でも勝利数・奪三振・防御率は1年目が最高で、その後はまさに不振続きといえる。

斎藤佑樹の不振続きについては、いくつか報じられているが、代表的なのは「練習不足」「メンタルが弱い」「女遊び」「ケガが多い」だが、あながち間違いとはいえない。特に練習量の少なさとケガの多さは致命的といえよう。

大学進学もプロで苦戦している理由という声もある。だが私はこれには否定的だ。
過去に大学で活躍してそのままプロでも成功している投手は少なからずいるからだ。そして体が出来上がってないままプロ入りし、つぶれた投手は数多い。それに早稲田大学野球部は上下関係が厳しいが、同時に人脈や派閥が豊富で、プロを引退した後に向けてのいい勉強にはなる。このような背景から考えれば系列校からそのまま早稲田大学進学は必然かつ賢明だ。

そう考えると斎藤佑樹のプロでの不振は、練習量の少なさ、ケガ、何より1年目に自信をつかめなかったことが原因だと思う。自信については、たびたび報じられた投球フォームの試行錯誤、それがケガにつながり、力を発揮しきれないという悪循環で失われたと予想できる。もし1年目に球界からの後押しがあったとしても、2桁勝利できれば、おそらく本人は一定の自信を持ち、投球フォームの試行錯誤、それに関連するであろうケガもなく、毎年安定した成績を残せたのではないだろうか。そして箔がつき、対戦相手も必要以上に斎藤をリスペクトして斎藤が主導権を握るケースが増える、その分多く勝てるという好循環が生まれたのではないかと思う。早い話斎藤の1年目に東日本大震災が発生し、かつての清原のような後押しを得られなかったことが不振続きの原因ともいえる。

ただ今年はオープン戦までの間に、評論家から高評価されている。さすがにプロ9年目で30歳を過ぎたとなれば本人もかつてないほど危機感は感じただろう。あるいは甲子園の後輩吉田輝星の加入フィーバーの影響もあるかも。いずれにせよ今年ダメで来年10年目を迎えるとなればプロ野球選手としての沽券にもかかわる話。また斎藤の不振続きが原因で、近年甲子園で活躍した選手が大学進学しようとするとファンから悲鳴が出るようになったフシがある。そのような不名誉を払拭するためにも、有力選手の大学進学が否定的に見られないようにするためにも、今年は斎藤佑樹には頑張ってほしいものだ。

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