最近日本の女子アスリートは成績と容姿が反比例してることが多いな。その理由として考えられるのは・・・?
先日、テニスの全米オープン女子で大坂なおみが日本人としての初優勝を飾った。もっとも大坂なおみはアメリカと日本の二重国籍で昨今日本国籍を選んだため日本人としての記録となったのだが。
さて、その大坂なおみも含め、最近の日本人女子アスリートは五輪でのメダル獲得など、好成績を残しながら容姿については反比例しているケースが多いような気がする。
過去を振り返ると、フィギュアスケートではトリノ五輪金メダリスト荒川静香、メダルには届かなかったが安藤美姫、女子サッカーでも大竹七未、小野寺志保、バレーボールでは比較的最近の木村沙織などは間違いなく美人だったといえる。また女子ゴルフと女子バレーボールではぱっと見だが、容姿がいい選手が多い印象だ。
ただし、五輪を筆頭とした国際大会でメダル獲得、もしくは準ずるほどの好成績を残しているかというと、荒川静香以外は惜しい成績にとどまるなど、やや物足りなさも感じる。逆にメダル獲得クラスの好成績を残している選手は上記の彼女達と比べると、成績のよさに比べて容姿が物足りなく映る。特に五輪(夏季・冬季両方含む)だけで考えると、2012年ロンドン五輪女子バレーボールで銅メダル獲得した木村沙織が容姿の整ったメダリストとしては日本最後と思える。極端に言えば、ここ10年くらいの日本における美人メダリストは木村沙織だけと言わざるを得ない。
早い話、日本の女子アスリートで好成績を残してきたのは、容姿が物足りない、もしくは醜悪クラスが多数のため「ブスリート」とでも呼べばいいのだろうか。もちろんスポーツ、中でも五輪などは国の威信をかけた戦いともいわれるだけに、容姿や色気、恋愛よりも勝つことが重視され、時には勝つためにスポーツマンシップを捨ててもいいという声すら聞かれる。だが世界の中の代表であれば、世界中の多くの人々から注目されるのだから、技量向上は追求すべきだが、同時に人々にとっての規範になるべきではないだろうか。2011年に女子サッカーW杯で優勝したなでしこジャパンや近年の女子レスリング伊調馨・吉田沙保里などは同年の東日本大震災以降、震災復興を口実にした、いわゆる「震災ジャッジ」などで不自然な勝利を収めるケースが多く見られた。これではお手本や規範にはなりえず、むしろ競技そのものへの失望感すら芽生えるというもの。実際日本の女子サッカーなでしこリーグはW杯優勝から2年が過ぎてから集客難が続いているのだから。
容姿は生まれつきなので努力ではどうにもならないし、特に容姿が物足りない、まして醜悪レベルならば、スポーツで勝たないと認められないという危機感もあるだろう。だがアマチュアだろうがプロだろうが、スポーツの、特に国際大会では人々のお手本になることが求められる。ましてTV中継などほとんどない、4年に一度しか相手にされないようなマイナー的スポーツの競技は人口が少ないため、若い少年少女に関心を持たせることが必要だ。それなのに容姿が醜悪クラスでその上不自然でアンフェアな戦いばかり見せつけられたら、競技の将来自体が危うくなる。むしろ大会で勝てなくとも、容姿と何より振る舞いがフェアで美しいところを見せられた方が競技自体も含め好感が持たれるというもの。
ただ日本では悲しいかな、どうしても近年は美人アスリートよりも容姿醜悪クラスのいわば「ブスリート」の方が注目されるケースが増えている。もちろん2011年以降見られる、震災ジャッジの影響で日本はメダルラッシュが多くなってきたという背景はある。ただそれにしても「ブスリート」の方がメダル獲得及び活躍率が高い。
おそらくこれは日本メディア特有の国民たちの政権批判封じともリンクしているはずだ。
「あんな容姿レベルが低くても勝てるんだ」
「あんな容姿でもメダル獲得すれば従来ありえないくらい愛されるんだ」
「じゃあ俺(私)も頑張ってみようか」
もしブスリートが活躍すれば、五輪や当該マイナースポーツに無関心でも国民の多くはどうしてもこのような感覚を抱くことになるだろう。そうなるとその国民たちは理不尽な格差社会、及びそれを生んできた自民党政権や経団連、官僚連中、メディアに対する不満が薄れてしまう。時には国際的にリスペクトされていたはずの外国人アスリート(対戦相手)へのバッシングが発生することもある。
要はブスリートが勝った方が、容姿醜悪・最低という第一印象とのギャップが大きく、国民たちが根拠のない希望を漠然と持つことで自民党政権への批判封じにつながるという構図だ。それでも勝てるか不安な場合は日本メディアお得意の偏向報道・震災ジャッジを活用するようなアンフェアなやり方で日本のアスリート、特にブスリートを勝たせようとする。日本の国民の多くは冷静さが足りないから「日本が勝てばいい」と思い込み盲目的になってしまう。そして自民党政権は安泰モードが続いてしまう悪循環となる。
だがこんなやり方で日本のアスリートを勝たせたところで一般国民のほとんどは何も恩恵は得られない。中にはアスリート、特にブスリートが脚光を浴びることに不快感を感じる国民もいるはず。一方でブスリートを必死に持ち上げても、本人たちは心底喜んでいるのだろうか。ちょっと賢ければ不純なやり方で利用されているだけとわかり、活躍前のような不遇な気持ちに逆戻りするのがオチ。日本のメディアやスポンサーたちはブスリートの容姿と活躍のギャップを利用して偏向報道など国民達をミスリードするのはやめてもらいたい。こんなやり方では容姿の良し悪しに関わらずアスリートたちにも失礼な話だから。
さて、その大坂なおみも含め、最近の日本人女子アスリートは五輪でのメダル獲得など、好成績を残しながら容姿については反比例しているケースが多いような気がする。
過去を振り返ると、フィギュアスケートではトリノ五輪金メダリスト荒川静香、メダルには届かなかったが安藤美姫、女子サッカーでも大竹七未、小野寺志保、バレーボールでは比較的最近の木村沙織などは間違いなく美人だったといえる。また女子ゴルフと女子バレーボールではぱっと見だが、容姿がいい選手が多い印象だ。
ただし、五輪を筆頭とした国際大会でメダル獲得、もしくは準ずるほどの好成績を残しているかというと、荒川静香以外は惜しい成績にとどまるなど、やや物足りなさも感じる。逆にメダル獲得クラスの好成績を残している選手は上記の彼女達と比べると、成績のよさに比べて容姿が物足りなく映る。特に五輪(夏季・冬季両方含む)だけで考えると、2012年ロンドン五輪女子バレーボールで銅メダル獲得した木村沙織が容姿の整ったメダリストとしては日本最後と思える。極端に言えば、ここ10年くらいの日本における美人メダリストは木村沙織だけと言わざるを得ない。
早い話、日本の女子アスリートで好成績を残してきたのは、容姿が物足りない、もしくは醜悪クラスが多数のため「ブスリート」とでも呼べばいいのだろうか。もちろんスポーツ、中でも五輪などは国の威信をかけた戦いともいわれるだけに、容姿や色気、恋愛よりも勝つことが重視され、時には勝つためにスポーツマンシップを捨ててもいいという声すら聞かれる。だが世界の中の代表であれば、世界中の多くの人々から注目されるのだから、技量向上は追求すべきだが、同時に人々にとっての規範になるべきではないだろうか。2011年に女子サッカーW杯で優勝したなでしこジャパンや近年の女子レスリング伊調馨・吉田沙保里などは同年の東日本大震災以降、震災復興を口実にした、いわゆる「震災ジャッジ」などで不自然な勝利を収めるケースが多く見られた。これではお手本や規範にはなりえず、むしろ競技そのものへの失望感すら芽生えるというもの。実際日本の女子サッカーなでしこリーグはW杯優勝から2年が過ぎてから集客難が続いているのだから。
容姿は生まれつきなので努力ではどうにもならないし、特に容姿が物足りない、まして醜悪レベルならば、スポーツで勝たないと認められないという危機感もあるだろう。だがアマチュアだろうがプロだろうが、スポーツの、特に国際大会では人々のお手本になることが求められる。ましてTV中継などほとんどない、4年に一度しか相手にされないようなマイナー的スポーツの競技は人口が少ないため、若い少年少女に関心を持たせることが必要だ。それなのに容姿が醜悪クラスでその上不自然でアンフェアな戦いばかり見せつけられたら、競技の将来自体が危うくなる。むしろ大会で勝てなくとも、容姿と何より振る舞いがフェアで美しいところを見せられた方が競技自体も含め好感が持たれるというもの。
ただ日本では悲しいかな、どうしても近年は美人アスリートよりも容姿醜悪クラスのいわば「ブスリート」の方が注目されるケースが増えている。もちろん2011年以降見られる、震災ジャッジの影響で日本はメダルラッシュが多くなってきたという背景はある。ただそれにしても「ブスリート」の方がメダル獲得及び活躍率が高い。
おそらくこれは日本メディア特有の国民たちの政権批判封じともリンクしているはずだ。
「あんな容姿レベルが低くても勝てるんだ」
「あんな容姿でもメダル獲得すれば従来ありえないくらい愛されるんだ」
「じゃあ俺(私)も頑張ってみようか」
もしブスリートが活躍すれば、五輪や当該マイナースポーツに無関心でも国民の多くはどうしてもこのような感覚を抱くことになるだろう。そうなるとその国民たちは理不尽な格差社会、及びそれを生んできた自民党政権や経団連、官僚連中、メディアに対する不満が薄れてしまう。時には国際的にリスペクトされていたはずの外国人アスリート(対戦相手)へのバッシングが発生することもある。
要はブスリートが勝った方が、容姿醜悪・最低という第一印象とのギャップが大きく、国民たちが根拠のない希望を漠然と持つことで自民党政権への批判封じにつながるという構図だ。それでも勝てるか不安な場合は日本メディアお得意の偏向報道・震災ジャッジを活用するようなアンフェアなやり方で日本のアスリート、特にブスリートを勝たせようとする。日本の国民の多くは冷静さが足りないから「日本が勝てばいい」と思い込み盲目的になってしまう。そして自民党政権は安泰モードが続いてしまう悪循環となる。
だがこんなやり方で日本のアスリートを勝たせたところで一般国民のほとんどは何も恩恵は得られない。中にはアスリート、特にブスリートが脚光を浴びることに不快感を感じる国民もいるはず。一方でブスリートを必死に持ち上げても、本人たちは心底喜んでいるのだろうか。ちょっと賢ければ不純なやり方で利用されているだけとわかり、活躍前のような不遇な気持ちに逆戻りするのがオチ。日本のメディアやスポンサーたちはブスリートの容姿と活躍のギャップを利用して偏向報道など国民達をミスリードするのはやめてもらいたい。こんなやり方では容姿の良し悪しに関わらずアスリートたちにも失礼な話だから。
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